名無しさん : 24/03/27(水)

富野由悠季の凄いところを語ろう




名無しさん : 24/03/27(水)

>富野由悠季の凄いところを語ろう
ファイティングスピリット




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名無しさん : 24/03/27(水)

イデオンを子供向け作品として作った


名無しさん : 24/03/27(水)

気に入った声優が居たら罵声を浴びせながらビシビシ鍛えてずっと何作も使う


名無しさん : 24/03/27(水)

作詞力


名無しさん : 24/03/27(水)




名無しさん : 24/03/27(水)

ガンダムを作った事


名無しさん : 24/03/27(水)

なろうより先にダンバインした事


名無しさん : 24/03/27(水)

喋りのテンポが早くて年齢を感じさせない


名無しさん : 24/03/27(水)

作品に真摯に取り組みすぎて
放送当時のキッズたちが30年40年たっても考え込んでしまうような作品を作るところ


名無しさん : 24/03/27(水)

いっぱい小説だしてる


名無しさん : 24/03/27(水)

未だに新作作ってるからな超人だよ


名無しさん : 24/03/27(水)

早めに諦めて剃った頭


名無しさん : 24/03/27(水)

ヒデキにもう少し人のことを信じなさいよと諭され浄化されたところ


名無しさん : 24/03/27(水)

総集編でも手を抜かない


名無しさん : 24/03/27(水)

一度ナマ冨野みたい


名無しさん : 24/03/27(水)

>一度ナマ冨野みたい
こないだどこかのミニシアター開館の挨拶に呼ばれたらしいな
地元だからってつながりらしいけど
そんな機会でもなきゃアニメに関わる人の顔なんてまず見れないよね


名無しさん : 24/03/27(水)

富野なんて割とイベントに顔出すじゃん
等身大ガンダムのイベントで俺見たぞ


名無しさん : 24/03/27(水)

>富野なんて割とイベントに顔出すじゃん
>等身大ガンダムのイベントで俺見たぞ
イベント的な上映とかにもよく来るな
二回くらい見た気がする


名無しさん : 24/03/27(水)

ザンボットをあの時代に世にお出ししたこと


名無しさん : 24/03/27(水)

あの歳でまだ創作物のために怒ることができるのがすごい
もちろん自他を奮い立たせるためとかトミノを演じるポーズとかあるんだろうけどそれでも時々こっちをハッとさせるような怒り方ができるのが凄い


名無しさん : 24/03/27(水)

もういい歳だろうに元気よね


名無しさん : 24/03/27(水)

>もういい歳だろうに元気よね
ぐぐったら82歳だって
すごいね


名無しさん : 24/03/27(水)

ガンダムを抜いてもレジェンド


名無しさん : 24/03/27(水)

1941年、神奈川県小田原市生まれ。同年生まれのアニメ監督に宮崎駿や同じ虫プロ出身のりんたろうがいる。富野が生まれる前、両親は東京で生活していたが、仕事の関係上小田原へ転勤していた。母についてはあまり語っていないが、幼少期の冨野に「おまえは弱い子なんだよ」と刷り込みのように言い聞かせ、自身の虚弱体質ぶりを自覚させていたという[14]。父は写真家を志し、20歳を過ぎて日大芸術学部の美術・美学専攻学科に入学して、30歳近くまで学生であったが、在学中に太平洋戦争が始まると、徴兵を嫌って化学分野の技術者として小田原の軍需工場で零戦の与圧服の開発スタッフとして勤め[15][16]、父が終戦直後の軍命令に背いて残した与圧服の資料が、科学や宇宙を題材とした自分のアニメ作品の原点になったという[17]。

この父の影響で、小学4年の頃は航空宇宙学に携わる仕事に就きたいと考え、中学1年の頃には理工学系、若しくは機械系の仕事を志すようになるが、中学2年になって数学で挫折し、高校受験で工業高校に落ちたことで、理工学系の夢を捨て、文系に切り替えざるを得なくなり、高校の3年間は物語を書くための基礎的な勉強や、小説を書くための練習を行う傍ら投稿を行うようになる[14]。

幼児期の冨野は食が細く、オムツ離れや走ることも遅い方だった。また神経が過敏なところがあり、空から降る雪や砂浜に押し寄せる波を極度に恐れていたという[14]。小学生の頃は同級生たちから孤立していた。また、本人曰く「英単語や数字を覚えることが苦手で、あまり勉強出来なかった」という[18]。

当時は、どうして周囲の人間が自分をのけ者にするのか理由が分からなかったが、現在になって思い返してみたら自分のほうから彼らにケンカを売っていたことが分かったと回想している。小学生の時に手塚治虫の「アトム大使」(「鉄腕アトム」の前身にあたる作品)を読み、親に「アトム大使」を連載していた雑誌『少年』を毎月買ってくれるように頼む。この経験が、後に富野が手塚治虫と関わるきっかけにつながる[19]。この頃は画家になりたかったのだが、いつまでたっても絵がうまくならず、14歳で画家になる夢に見切りをつける。その後映画の魅力にとりつかれ、映画業界の仕事に興味を持ち始める。

富野由悠季 - Wikipedia



名無しさん : 24/03/27(水)

先を予感させるさりげない映像の置き方がいいな


名無しさん : 24/03/27(水)

芸術家を志向しながら超一流の職人になってしまった感じなのがかっこいい


名無しさん : 24/03/27(水)

キンゲOPからコスモスに君とみたいなのまで出来る


名無しさん : 24/03/27(水)

ガンダムが凄すぎるが
ザブングル ダンバイン エルガイム
あたりも世界観 メカ設定含めて1年で済まない魅力がある
実際 令和になっても商品化され続けている



名無しさん : 24/03/27(水)

1年モノのTVアニメの監督を何年も連続で担当したこと
同じシリーズ続けるより企画を立ち上げながらクライマックスの盛り上がるあたりを作り続けるのはとんでもない労力


名無しさん : 24/03/27(水)

ザンボットから逆シャアまでの仕事量くるってるよね
この期間の仕事量だけでレジェンドと呼べる人よ


名無しさん : 24/03/27(水)

天才ではなく超人
後天的に超越したタイプ


名無しさん : 24/03/27(水)

やる事やり続けてたら伝説になっちまったジジイ


名無しさん : 24/03/27(水)

当時のアニメ好きからしたら大ヒット連発の神だろうな


名無しさん : 24/03/27(水)

この人いなかったら日本はここまで発展してないよな
アニメから膨れ上がった技術が多すぎる